うなぎのお寺 彦倉虚空蔵尊
うなぎ供養会を毎年開催
うなぎ供養会
うなぎと縁の深い彦倉虚空蔵尊では、うなぎに関わりのある、商売として扱っている、愛好・信仰している方々が、うなぎに感謝し敬意を表す会として「うなぎ供養会」を開催しています。「うなぎは虚空蔵さまの使者や化身である」との言い伝えも広く残っており、虚空蔵菩薩様を信仰する方々にとっても、命の大切さを考え、感謝の気持ちをもって生活できることを祈願するものであります。うなぎと関わりのある方、うなぎに関わるお仕事をされている方、丑・寅年生まれの方、当供養会に興味のあられる方、当尊のうなぎ供養会に是非ご参加ください。
うなぎと虚空蔵菩薩
「虚空蔵さまの使者や化身である」という理由から、「虚空蔵さまを祀る地域および丑・寅年生まれの人は此れ(うなぎ)を食べない」という伝承は日本全国で数十ヶ所もあるといわれております。それら地域の特徴としては、洪水が多発した・水害が多かったということが共通しているようです。彦倉虚空蔵尊を祀る当地区(三郷市彦倉)では、うなぎにまつわる話として、次のような昔噺しが残っております。
「秋の大雨が数日つづき、古利根川(中川)が増水し堤防が決壊、みるみるうちに床上まで浸水し、ついには軒先まできてしまった。方々から“助けてくれぇ”という叫び声がきこえ小船を漕ぎだして探していると、子供や老人が太い丸太のようなものに乗ったりつかまったりして、流れのはやい濁流の中で流されずに浮いていた。よくみればそれは丸太ではなくうなぎの大群で、縄のようになってより集まり、子供や老人の体が流されないように抑えつけて多くのひとの命を救った。これらのひとは、その恩返しのためにうなぎを一切口にしないと誓ったという。」
このような話が残っていることからも当地区はうなぎとの関わりが昔から非常に深く、現在でもその言い伝えを信仰し、うなぎを召し上がられない方々がおられます。さらにはその名残として、うなぎの絵馬やうなぎを捕獲するための掻き棒などが奉納され、現在でも保存されています。
さて、うなぎは縄文時代から食用に供せられおり、かの万葉集にも
石麿呂にわれもの申す夏痩せによしといふものぞむなぎとりめ
と、大伴家持が痩せた人を笑った歌があるように、古来から栄養豊富な食物として考えられていました。我々にとって身近な存在であるうなぎですが、現在でも海にかえって後の産卵場が特定されていないなど、謎のベールに包まれた部分があります。況や原始においては、その生態・形態的な不思議から畏怖の対象となったことは想像に難くありません。畏怖の対象としてのうなぎは、水神あるいは水神の使者として崇められていたと考えられます。
一方、虚空蔵菩薩の「虚空」とは、無限に大きくどんなものでも打ち勝つことができないほどの無尽蔵の力を持っている、ということであり、また「蔵」とは、大宝蔵でありどんなものでも欲しいだけ与えることができる宝がある、ということでございます。大方等大集経虚空蔵品には、
虚空蔵菩薩の神力を以ての故に、上空中に於て、是の如き等の妙法及び財を雨らし、三千大千世界の一切衆生をして、無量不可思議の快楽を得、所願具足し、患苦有るの衆生は薬の除愈を蒙り、孤窮の衆生は無量の珍宝を得、繋閉の衆生は開悟解脱を得、諸根の不具なる者は悉く具足するを得、應に刑戮を被るべき者には、空中に諸化人を雨らし、代って之を受けしめ、親愛の久しく別れたるをば悉く歓会するを得しめ、憂箭を被る衆生は悉く憂無きを得、三塗に堕せる衆生は、光の身に触るるを蒙るに一切の苦を除き、身心快楽ならしめたり。爾の時此の三千大千世界中の衆生、各々飲食遊戯し、五欲具足して共に相娯楽し、或は施を行じて諸の功徳を作すあり。一切の衆生是の如き等の楽を成就し、各是の言を作す。乃ち此の大士有りて能く世の楽を施す。此の虚空蔵菩薩出世の故に、能く世間に甘露を施し、乃ち能く常に勤めて、一切衆生に楽を与へんが為に疲惓する無し
と述べられており、虚空蔵菩薩は、すべての福徳と知恵を授けてくれる存在として信仰されている菩薩様でございます。
これらを持って「うなぎと虚空蔵菩薩の関係」でございますが、やはり洪水、すなわち「水と災害」からのつながりがあるようです。「うなぎの水神的性格」-特にうなぎが洪水の際にあらわれることから洪水の権化と考えられてきた民衆の信仰-と、「虚空蔵菩薩の災害消除的性格」、このふたつを、鎌倉・室町時代あたりに真言系僧侶・修験らが結びつけ、それが虚空蔵信仰のひとつの形としてあらわれた、といわれています。